2008-11-09

_ プログラマの育成 その一

ここ最近は、経営と営業と発表とシステム管理で、プログラミングがあまり出来ていない私ですが、先日Yさんとお会いして以来、ときどき暇のある時に、プログラマを育てることについて、真面目に考えるようにしています。 (ん、何で社長がシステム管理なんかやっているのかって?それはいろいろ事情があるのです...)

実のところ、プログラマを育てるというテーマは、私にとっては、それほど新しい主題ではありません。

かつて私は、周りが子供の頃からコンピュータを弄っているような人が多い中で、非常にコンピュータの使用経験が浅くて、「こんなに速く成長できるのか」と賞賛していただいたこともあったのですが(自慢)、今や「出来て当たり前でしょ」という目でしか見られない年齢になってしまいました。 いやあ、残念ですね。 褒めてもらえるのは若いときだけですから。 一応自分ではまだ若い方に入るとは思っているんですが、 もう十何年もプログラミングやっているわけで、 古いと言われても、しょーがないわけです。

私が、自分が伸びることだけではなく、他の人を伸ばすことに興味を持ったのは、実際にはまだ経験年数も浅い頃です。 経験の浅い奴が下手な真似をするなと言われそうですが、 私は燃えるタイプなので、一旦やると決めたら、かなり真剣にやっていたと思います。

当時の結論は、あんまりうまく行かないなあってことでした。 おそらく教育のプロなら誰でも知っていることなんでしょうけれど、 私はど素人でしたから、やってみて気づくことは少なくありませんでした。 例えば、「教えすぎると、自分でできなくなってしまう」(過ぎたるは、及ばざるが如し)とか、「本人が燃えないと、周りが燃えても仕方がない」とか、「人にはそれぞれのペースというものがある」とか。

特に、最後のことは、分かるのに随分時間がかかりました。 私には、みんな、(あらゆる面で)自分と同等以上の能力があると思い込んでいるところがあったので。 どうも儒教的なものの考え方が染み付いているのか、妙に謙虚に考えてしまうところがあるんですね。 この癖は今でもあんまり直っていないかもしれません。

とにかく、この時の経験で、いろんな教訓を学び、その後の人生に活かされたことは間違いないのですが、この時は何だか燃え尽きてしまって、 それからはしばらく人を育てるってことに、さっぱり興味が持てなくなってしまってました。

大学院時代にも多少はやりましたが、またまともにやるようになったのは、今の仕事が始まってからです。 人事面はかなりやってきましたからね。 当時の反省をふまえてやってきたので、当時よりはかなりうまくやったと思います。 しかし、うちの会社の場合、初めから十分な能力や才能が窺える人しか採らないという方針なので、その点、かなりラッキーもあるわけです。 そのフィルタリング自体、私自身がやってますから、そこも合わせれば、悪くない仕事をやっているという自負はありますが。

私にとって、元々は直感だったのですが、今では多少の統計的根拠もある結論は、ちゃんと才能と熱意のある人は放置してても勝手に伸びるということです。 才能と熱意が、実は同一のものなのか、関連はあるけど、ちょっと違うものなのか、あるいは、全然独立したものなのか、そこんところは今でもよくわからないです。 個人的には、自分みたいなのでも、これぐらいにはなれるわけですから、 熱意があれば、才能は大して必要ないようにも思えるんですが。

才能の方は、先天的なものや、後天的でも人生の極めて初期の段階(幼児とか)で決まってしまうように思えるので、他人が口出しできるようになってからではどうしようもありません。 だから、親とかにならない限り、他人がどうこうできそうなのは熱意の方だけです。

もちろん、やる気のある人が、やりたいことができるようにしてあげるのも必要なことです。 例えば、コンピュータや開発環境を入手しやすくしてあげるとか、 コンピュータ・サイエンスの教科書を書いて、知識が得られるようにしてあげるとか。 あるいは、 IPA Forumの発表 でも言いましたけど、著作権とか特許とかで、開発者をイジメないようにするとか。 Appleのドック特許とか最悪ですよね。おっと、これは蛇足でした。

しかし、教育というテーマを考えたときには、やっぱり本人のやる気を奮いたたせるのが一番重要だと思うんですね。 昔から、教師の役割とは「火を点けること」だと思ってましたし。

段々長くなってきたので、「その一」として、この辺で止めます。 続きを書くかどうかはわかりませんが。

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_ tko (2008-11-11 12:59)

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