2006-07-09

_ W杯

さてはて、今日でW杯も終わりですね。 準決勝では私が勝てないと予測したおかげで(?)、 フランスが勝ってくれました。 その夜はさらに大変なことになってましたが、 今日は一体どうなるでしょうか。

とりあえず再びフランスは勝てないだろうと言っておきます。 イタリアもTottiの引退があるので、 花を咲かせようと頑張るでしょう。 この試合の命運はここまでいまいちなThierry Henryがいかにしてオフサイドにならずに球を受けられるかに掛かっていそうです。

_ ふと思ったことなど

最近さすがにあまり聞かなくなったが、 それでもGPLやFSFは共産主義だと主張して憚らない輩がいる。 昨今の業界の流れを見てもわかるように、 全く事実無根、荒唐無稽な主張である。

私が思うに、共産主義的活動が名指しされるべきなのは、 ファイル共有などで違法コピーにはまっている連中だと思う。 これこそ、みんなで共産してハッピーになろう、の典型だと感じるんですね。

まあ大抵の人は特に主義があるわけではなくて、 ただ手に入るからやってるだけだと思うんですが、 ときどき本気で「自分たちのやっていることは正しい」と主張してくる人がいる。 法律が常に正しいとは言えないので、 必ずしも間違っているとは言わない。 しかし「音楽業界がおかしいから、彼らには金を払わない」などと宣っているのを耳にすると、 おいおいって思ってしまう。 じゃあ、その業界の放出する作品と付き合うのを止めれば、と。 あるいは、業界を変えさせる努力をやれば、と。 私には単なるエゴにしか聞こえない。

もっともレッドパージの時代じゃあるまいし、 共産主義を頭ごなしに徹底的に否定するのもどうかと思う。 「○○は共産主義だ」と主張する人の頭の中には、 「共産主義 = 悪」と方程式が成り立っている。 が、現実のシステムは常に折衷であって、 純粋な資本主義もまた悪であろう。

私しては、いろんな主張があって、 それらが常に自由に存在し続けられ、 弾圧も受けない社会が一番だと思う。 自由が必ずしも善とは言えない、 という哲学的研究も数世紀に渡って繰り広げられているので、 自由でない方が良いという主張も受け入れられなければならないのですが、 それが多数派になると、システムが崩壊してしまうので、 自由主義も万能とは言えない。 でもどうしたらこの問題を解決できるか見当も付かないし、 私は自由が重要であると信じているから、 今のところ私は自由を尊重するしかないと思っている。 もっとも私は新しい考えを聞くと、 案外簡単に考えを変えてしまうことがありますが。

自由と言えば、 「自由 = やりたい放題」と信じている連中にも閉口する。 自由をどう定義するかという問題なわけだが、 私は自由は自らの決定に責任を負い、 自らの決定が可能であること、だと思う。 これは私のオリジナルではなくて、随分昔の哲学者が言ってたことなんですが。 名前は失念。 そして、自由な社会とは、それが分け隔てなく誰もに公平に機会が与えられる社会であると思う。

ときどきGPL嫌いな人は「ソースを公開しない自由がないから、自由でない」などと頓珍漢なことを言ったりする。 ソースを公開しないということは、他人がソースを弄る自由は奪ってるわけだ。 自分は弄っているのに。 こういうのは私にとっては「自由」ではなくて、 「我儘」である。

しかしその一方で、 GPL好きな人にも心の狭い人がたまに居て、 copyleftでないライセンス、例えば、BSD-style ライセンスなんかを、 極端に毛嫌いしていることがある。 これにも閉口する。 バイナリしか受け取れなかったら憤慨するのも分かるけれど、 ソースを手に入れて、それがBSD-styleでも問題はなかろうに。 GPLと同じく、自由に弄れるんだから。

コントリビュートするかどうか決める時にライセンスによって気分がぐらつく、 というのは大いに分かる。 GPLとBSD-style Licenseの同等のプロジェクトが二つあって、 さてどっちに関わりたいですか?と訊かれたら、 私ならGPL側に付く。 その方が自由に結び付く可能性が大きいから。 copyleftでないライセンスの場合、 初めから不自由なソフトウェアに転用したい気持ちがありまくり、 というケースが割とあって、 下心が見え透いていると気力が萎えますね。

しかし多くの場合、私は一向に気にしない。 自分にとって都合がいいと思ったら、寄付する。 思わなかったら、やらない。 ただそれだけ。

私自身でライセンスを決定できる場合は、 私も下心ありまくりなことだってあるから、 どのライセンスを採用するかはまちまち。 私の場合は他の人のコードを流用して、 それと同じライセンスにしてしまうという機会が一番多いかな。 ある意味、節操がない。

いずれにしても、心が狭い、無根拠で害のある主張を繰り広げる、 といったことはよろしくないですねえ。 世の中、全部白黒付けられるわけでなし、 直情的に善悪決めてかかるのは謹むべきですよねえ。

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