何だかもやもやっとしていて、何をどう書けばいいのか、さっぱりよく分からないのですが。 適当に、徒然になるままに。
最近、良いプログラマって、本当に少ないんだなあと感じたり。 結局ね、結果として出せなきゃ意味がないんと思うんですね。 いくら本当はすごい能力の持ち主だとしても、 出力として見えなければ何もならないのだよなあ、と。
私の知名度はそれほどではない、 少なくとも自分ではそう思っています。 世界をかなり限定すると、よく知られているのかもしれない。 知っている人は確かに知っていて、 こっちが知らない相手が知っていると思っていることも少なくない。 でもそれは狭い世界で、同時に広い世界で。 日本で知っている人は多分あんまり多くない。 それ以外の国で知っている人の方が多分ずっと多い。 でも全体からすれば、やっぱりほんの一部。
何を言っているか、自分でも分からない。 とにかく、ときどき私のことをとてつもなくすごいと信じている人がいて、 こっちがびっくりすることが、まあ、しばしばあります。 じゃあ、どうしてそう思われるのかというと、 GRUBどうだとかいうのもあるみたいですが、 例えば、本業の方でもシステムのコアな部分から弄り回しているのとか、 そういうのもあるようです。
でも、それってそんなにすごいことなのか?と思うのです。 私が思うに、私より知能の優れた人はいっぱいいます。 周りの、とは言っても、それなりに限られた周りではありますが、 その辺の人々より自分の方が賢いとはちょっと信じられない。 ときどき自分は常に正しく、他人が間違っているとか、 自分以外はみんな馬鹿とか信じている強者がいますが、 多分そういう人は本物の天才か、真性の間抜けなのか。
あるいは、知識でもいい。 明らかに私より多くの知識を持っている人がいる。 あるいは、私とは違う部分で、私よりよく知っている人がいる。 どこをどう考えても、私の方が秀でていると主張するのは無理がある。
しかし、それが結果と結び付くかって部分で、どうもおかしくなる。 やれば私と同等かそれ以上にできるはずの人が、できない。 あるいは、やらない。 これが私には分からない。
とても困る。 なぜ困るかというと、どうしても分からないから。 できない人だからできない、とかだったら、単純明快で、何ら問題はない。 それはそれで哀しいことだけど、少なくとも納得はできるので、 困りかたの種類が違う。 分かれば、対処も可能になる。 分からないと、どうしようもない。
ときどき思うのは、想像するのはと言うべきか、 価値観?考え方?哲学? どう表現するといいのか知らないけれど、 姿勢というのかなあ、もっと感情的な側面なのかなあ、と。
昔思い付いたネタの一つに、 凡人が天才と張り合うための方法論てのがありました。 そういう姑息なことを考えてきたから、 天才の中でも何とかやってこれたのかなと思っているんですけど。 詳しいことはそのうちどっかで小出しに使いたいと思っているんで、 ここでは詳しいことは書きません。
例えば、一つの観点は、ハードウェアとソフトウェアみたいな。 多分、天才というのは、ハードウェアが優れている。 天から授けられた能力、つまり、先天的な才能であって、 後からではどうにもならない。 だからハードウェアみたいなもんでしょ。 FPGAとか言い出すと、ややこしくなるけど、 それもトランジスタ数とかは変わんないわけだし。
CPUだけに絞ってみて、 80386で、Opteronに勝てるか、みたいな。 これが勝てるんだな、場合によっては。 コンピュータ、ソフトがなければただの箱ってやつで、 ソフトウェアで実装してなかったら、使えない。 あるいは、ソフトウェアがあんまり間抜けだったら、 80386の方が高性能になり得る。
ありがたくも、ソフトウェアっつーか、 後天的な方の能力は後から変えられる。 最終的に見えるのはシステム性能であって、 ハードウェアの生の性能じゃないから、 ハードウェアで負けていても、システムとして負けるとは限らない。
やっぱりずれずれになってきたな。 元の話に戻ると、 かなり核心に近いのかも、と感じていることの一つは、 自分で自分に足枷をはめちゃっているのかな、とか。 例えば、これは自分にはできないと思い込む。 すると、絶対にできない。 私みたいにやってみてから決めるタイプの人間は、 多分得をしている。 もちろん、失敗もする。 やっぱりできないじゃんと他人には笑われるのかもしれないけど、 基本的にそういうことに無頓着な人間だから、 まあそういうこともあるわさと思うだけ。
で、経験的に言うと、案外何とかなるんだな、これが。 そりゃ、100km泳ぎなさいとか言われたら、 やる前にそれは無理かなと思う。 そこはそれ、ある程度は現実的にならんといかんのだけど。
何だろう、すごい教育者っぽい言い方をするなら、 ちょっとできるかどうか不安なぐらいのことをやった方が、 人間は伸びるんだろうと思う。 できると分かりきっていることだけやっても、 多分変化はないだろうから。
でもねえ、別にそういう実利的なことを考えて、 せこく生活しているわけでもないんだよね。 ただ、そうしてみたいなと思うことをやってみるだけで。 じゃ、他の人はそうしたいと思わないのが本質なのかなーとか。
もう何が何だか分からなくなってきた。 きっと疲れているんですね。 もう寝ます。
#こういう話を持ち出すのはどうかという気もするのですが<br>あくまで一例としてですが、<br>ADHDという脳の障碍(一説によると国によらず30人に1人ぐらいの割合でいるそうです)では、自分の集中力を向ける対象を理性でうまくコントロールできないために、やらなければならないことや、やろうと思っていることが出来ないということがあるそうです。そういう脳の持ち主はその代わりに、集中の対象が次々と色んなことに向くので奇抜なアイディアが出たり、豊富な(幅広い)知識を持っていることがあったり、何かのきっかけで集中すると物凄い集中力を発揮できたりするそうです。
話してても「知っている=やればできる」って価値観で、インプットフェーズに時間を割いている<br>人が多いような気がします。本当は「知っている≠やればできる」で、隔たりは大きいんですけどね。<br><br>結局、プログラマーはコードを書いてしか結果を残せませんから、インプットフェーズに時間を<br>割けば割くほど悪循環になりますよね。<br><br>アルファブロガーなどが注目されるにつれ、情報のバケツリレーで短期的な評価を得る事も<br>可能ですから、そこで自己顕示欲が落ち着く人は、そこでコードを書かないんじゃないでしょうか。<br><br>端的に、プログラマーの世界も評論家が多くなってきたなー、といった感じです。
こんな意味不明な文章にコメントしてくださって、どうもありごとうございました。次はもうちょっと前向きなことを書くように気を付けます。